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メジロの件

monograph

今日弟となかなかおもしろいやり取りがあって、ブリの出世魚メジロという名称があるんだけど、自分がメグロじゃなかったっけと言ったわけだ。

弟は確実にメジロだ。昔やってたゲームではメジロだった。という。

自分はブリの目の周りは白くないことを知っていて、メジロというと鳥のイメージがあってメグロではないかと思ったのだがそういうことは説明せず、じゃあなぜメジロなのか教えてくれと言うと、弟はメグロと言い出したのだからそちらもしなければらない、ブーメランをするなと言った。

そこで自分が確かにそうだなと言ってやり取り自体は終わるわけだが、そういった後何かがおかしい気がした。

 

ちなみに、ブリの出世魚にあるのはメジロで間違いないのだが、自分が違和感を覚えたのはそこではない。

自分は目の周りは白くないことを知っていて、それから予測してどこかで聞いたようなメグロ(シロだからクロに変換するのもあれだが)ではなかったっけと思った。

弟は過去の経験からブリの出世魚の名称はメジロであるという事に確たる自信があったのだろう。

それならば、なぜメジロか知っている必要があると思ったのだが、どうだろう。

 

知っているという事の価値観の差というべきだろうか?知っているとしても説明できないのなら知らない。名称がなにゆえにつけられたかというのを知らなければ知識ではなく言語というか、それを呼ぶ響き、音の波形、口の発音でしかないと思う。

 

弟がブーメランと呼び、自分はなぜそう言われて納得したのかというのも疑問だ。

何もブーメランではない。自分で自分の言った理論を崩れさせてはいない的外れなことを言っているのだが、自分は納得したのはなぜかという事だ。

いわゆる言いくるめという状態にあったのではないか?

論理がずれていたとしても勢いがあったり声が大きかったり恫喝的だったりすると話が通ることがままある。

多分勢いに負けたのではないか。と思う。

 

でも不思議だ。なんとも面白い。

でもなにがわからないのかわからない、掴みどころがないんだけど考える余地がある。

あくまで自分の中でなんだけども。